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2017/04
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骨髄移植から10年



今日、日にちが変わってしまったけど
非血縁骨髄移植をしてから10年目を迎えます。

移植後のGVHDでなく、放射線がほぼ元になる肺炎持ちでありながら
ここまで生きてこれて
今日を元気に迎えることができて嬉しいです
ちょうど10年前の今、骨髄液が入っているドナーさんの血液を点滴して寝ている頃です。
不思議と痛くも苦しくもなく
体が温かく感じられるような嬉しい希望に満ちたような感覚だったと思います。
どんな人かもまったく知らないドナーさんに
助けてくれてありがとうと
この骨髄移植で絶対に白血病は良くなるって心の中で呼びかけていました。
わたしには心地よい時だったように思います。

ふりかえってみると
正直いうと白血病治療は
ちょうど思春期の自分にはいろんな面で束縛されたような
耐え難いものでありました。

当時ギリギリ小児科でなく内科での治療になったので

同じような年頃の友達に出会うことも少なく
ほとんどが無菌室で
抗ガン剤の量も若いからということであの時代一番多い量と聞いていました。
照射も全身照射でしたし
まだ若かった時期に
はっきりと不妊を告げられ受け止めなければいけなかったし学校が気になって
再発をしてからの最後の砦の骨髄移植でしたから
不安でほんとにツライ想いばかりだったように思います。

それ以上に今もそうですが
家族にはつらい想いと迷惑ばかりかけてしまっています。
こうやってやっと10年を迎えることができるのも
周りに恵まれたくさんの人に支えてもらってきたからで
一人だったらと考えると気持ちも弱い自分は
ここまでこれなかったかもしれないです。

だから、風邪をこじらせないとか、検査入院意外で入院しないようにとか
なるべくこれ以上迷惑をかけないように
気を強くもって負けない強さを持ちながら
来年もずっと元気な状態で年を重ねていきたいです。

そして、さいごに一言

このブログを通してたくさんの人に出逢い励まされ
元気や希望をもらい
何が起きてものり越えてこれました。強くなれました。

みなさんありがとう!






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花恋



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テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

tag : 肺移植 間質性肺炎 骨髄移植 貧血 白血病 移植 不妊治療

かつらとお別れ修学旅行



外来での血液検査結果も白血球が3800血しょう板は23万

貧血無しとどこが病気なのかわからないというほど

元気であった。

主治医のH先生は父親のような暖かい

まなざしで診てくれていたと思う。

学校のことや勉強のことも常に心配してくれていた。

たぶん、体育の授業にも参加していたし

毎日、学校から帰ると愛犬コロと近所を歩きでなく

走っていたので見た目ではかつらを被っていて痩せていても

病気に見えなかっただろう。

血液検査とマルクの結果と経過が良かったので

最後の3月末の強化療法までの間

外来診察で経過を診てもらうだけとなった。

内服薬は無しでうがい薬がきれると出してもらうという感じ。


そのおかげで私には制限がなかったので

どこにも行く事ができた。


そのおかげで修学旅行の沖縄の2泊3日に行くことができた。

嬉しいのもあったし修学旅行の勢いで

私は、思いきってかつらをとり

生えたてのうぶ毛の超ベリーショートで行った。

そのほうが周りの友人やクラスメートにも好評で

おさるさんとかモンキーちゃんみたいだと言われ

親近感をもたれて良かったのかも。ヽ@(o・ェ・)@ノ

実際に当時の写真を見ると小柄のモンキーちゃんに見えるのだ(笑)

かつらの厳しさから抜け出た瞬間はかなり快感♪

かつらを気にすることなく

最高の笑顔で就学旅行を楽しむことができたのが良かったかな。


エメラルドグリンの海の中に飛び込んだり

琉球ガラス村に行って吹きガラス作りを鑑賞したりした。

とても美しい泡グラスを両親のお土産に買ったのがなつかしい。

私としては吹きガラス体験をしたかったのだが団体だと

そうもいかないのが団体行動(;´瓜`)

ひめゆり平和祈念資料館に行って

実際に現物を見たり

写真や資料などに触れて戦争でたくさんの犠牲者が亡くなった

ことを考えると胸が痛くなるものがあった。

わたしも修学旅行で沖縄に行けたことはすごく嬉しいおもいでだ。









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白血病日記は過去のことをふりかえって書いています。



















テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

髪の毛がなくても
白血病日記


幹細胞採取治療後、私の体調は

貧血もなく血液の経過状態も良好で風邪もひかず元気だった。

高校にもカツラで毎日普通に通っていた。

もうクラスメイト達も慣れてしまったのか

かつらの私をジロジロと見なくなっていた。

あの時期1番気になったのはカツラを被っての生活だ。

まだ夏休みが終ったばかりで暑いので

いつもかつらが蒸して頭が痒かった。

汗疹までできてしまい痒くて

授業やテストに集中できないことがあった。

軟膏を塗るとカツラの内部に

ベタベタついてカツラが安定せず体育の時抜けそうになったりと

けっこう大変なのだ。おまけに汗もかく。

心の中では
かつらとりたいよ~!痒すぎだーヽ(;´Д`)ノ

何回も何回も叫んでいた。

帽子でも蒸れて痒い。バンダナもするっと取れやすく

坊主頭が丸見えになったりするのだ。

毎日カツラの痒みとずれないようにと小さくなっていたと思う。

病前にくらべそれを見られるのが怖くて

自分の目立つ様なことをしなくなっていた。

後ろ向きになっていたわたし

今思うとこれが余計に以前の友人関係を保てなくなった原因だったと思う。

病気になったとしてもわたしはわたし。

そう思ってわたしらしく新しいクラスでも交友関係をもてれば

違っていたのかもしれない。




あの時気になっていた人と会った時も

悲しいけど見るからにカツラ

また会ったら・・

いつカツラがばれて髪がないことがばれてしまうかわからない

もしそれがわかったら嫌われてしまう。

髪がないし闘病中だ。

電話があってももう会わないようにしようか・・

すごく気にしていた。そればかり・・

青春まっぱだなかだし周りは恋バナばかり・・わたしも恋愛志向


白血病があっても普通に恋愛はしたい。

抗がん剤で髪の毛が抜けないようにするにはどうするか

本で調べたり先生に聞いて調べたりした。

あまり効果は期待できないけど

気休めにしょっちゅうわかめなど海草をサラダで食べていたんだよね。


早く卒業しないかなあ・・病気から早く解放されたい。

病気と学校、友達、恋愛 泣いて悩んだこと今もよく覚えている。











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白血病日記は過去のことをふりかえって書いています。














テーマ : いろいろあった
ジャンル : 恋愛

科学療法か骨髄移植か
白血病日記

幹細胞移植を断念することになったので

化学療法骨髄移植か?寛解後治療の選択を

しなければならなかった。

私は骨髄移植後の肺炎や慢性GVHDの怖さや

不妊になって子供は絶対に産む事ができなくなること

などやGVHD(拒絶反応)などの副作用が命にかかわることも

あるというので

が大きい骨髄移植は避けたいと思っていた。

母もいつも

子供だけは産ませてあげたいし

移植はあなたが思っている以上に大変だよ。

なるべく骨髄移植以外で治そう。


そう言っていた。

家族からしてみれば命の危険もある移植をやらせたくない



当時、化学療法で完治する確立は20%~30%と高リスクではあるが

副作用も多いが骨髄移植に比べれば負担が少ない。

学校へ通いながら治療もできる。

散々悩んだあげく決めた答。


私は

それでも化学療法の治療にかけてみたい。

母に行った。

そうしようか。絶対月子は化学療法で治るから大丈夫。

だとうなずいてくれた。

ずっとみんなで悩んでいてなかなか

決め兼ねない様子ではあったけど

家族みんなが納得してくれた。




第三部治療は抗癌剤強化療法に決め

そのために翌年3月に完全完治を目指し

最後の化学療法をすることに決めたのだ。


・もう13年くらい前の
昔なので今のような医療用語は患者に対して用いられていません









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白血病日記は過去のことをふりかえって書いています。







テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

再摂取
白血病日記



あっという間に7月に入り

期末テストも終わったところで

7月14日に幹細胞採取のために2回目の入院になった。


ここの病院はとても古かったので

少し離れた所に新しく建てなおし中で2ヵ月後くらいには

新しい病棟が完成するのでここから移動しなければならなかった。

そのためなのか特別個室しか開いていなかったため

そこで治療することになった。

8月4,5,6日3日間幹細胞摂取予定。



無菌室以外普通の個室部屋というのは

初めてだったためソファにテーブル

お風呂や電話が部屋についていてのびのびできて

+.゚(●´I`)b゚+.゚イィ!!

日差しが入るのに暗い感じがしたのは

古い内装で幽霊スポットで有名だったからか・・(笑)

入院初日、母は治療もないのに6時の夕食まで付き添ってくれた。


前回、幹細胞採取のために入院した時お友達になった

悪性リンパ腫で個室で動けなかったお姉さん

Rちゃんはどうしているのか・・

母にもあれから何も連酪がないという。

広い個室の中で気になっていた。


2日後16日

この日から3日間抗癌剤投与

すみませんが量は忘れました<(_ _)>

10時すぎから投与開始。

投与中はかなり気持ち悪くだるいので

点滴投与が終了しても夕方あたりまで寝ていた。

目が覚めてからお母さんに電話をする。


いつも投与後の電話で

大丈夫か?大丈夫か?と何回も繰り返し言い

心配をしていた。

一番苦しい時は母親に自然と電話をしてしまう。


流石に昼食は食べられなかった。

夕飯も少し口にいれただけで気持ち悪くなってしまった。


17日

雨で部屋が暗い。

投与後、だるさはあったものの初日よりは楽だったようだ。

午後も起きて雑誌を読んだり母とお話ができた。

気持ち悪さが一時的におさまったので

夕飯が食べられそうだと思い

差入れに持ってきてもらったパンと冷し中華を

調子にのって全部食べた。

案の定、寝る前にものすごい気持ち悪さと吐き気で苦しんだ私。

この件があってから

抗癌剤投与後、食べる行為だけは地獄行為避けたいと思うようになる。


最終日は、快晴!

今日で終だよ!頑張れ!必ず太陽は昇る

おてんとう様にそう言われているようだった。

空を見上げながら今日で最後だ!頑張ろう

と思いながらしばらく点滴が落ちるのを眺めていた気がする。


そんなことは関係なしに一番苦しくだるい1日だった。

最終日に一気に副作用がきた様子。

寝ていても気持ちが悪くて

何も食べれず、ポカリなどジュースしか口にできかった。

こんなに気持ち悪かったのに

翌朝は朝飯を半分食べて昼、夜飯もちゃんと食べていた。

食べすぎたけど気持ち悪くならなかった。と日記に書かれている。

若いと強いものだ。今じゃ考えられない(笑)

再接種

抗癌剤大量療法終了。




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(注)白血病日記は過去をふりかえって書いています。




















































テーマ : 病気
ジャンル : 心と身体

幹細胞採取結果
白血病日記



あっという間に

幹細胞結果がわかる外来の前日。

小学生の末の妹とお父ちゃんは仲良くあそんでいた。

いつの間にかH菜は笑わなくなっていた。

私はあの頃、家族の苦しみを気づいてあげられなかった。

お母さんは翌日の検査結果が心配なのもあったし

苦しくてやりきれない気持ちだったと思う。

あの晩はお母さんまで酔っていた。


家庭の中は私の居ないところで

まだ亀裂が生じていた。



翌朝

母と電車とバスに乗り病院へ向かう。

11時予約なのでその前に採血をし診察室の前で待つ。

「いっぱい幹細胞採れてるといいね。」

「大丈夫だて 採れてるから。」

「あんたをお母さんが幹細胞移植で治してあげるから!」

いつもそんなことを言っていたお母さん。

○○さ~ん15番中にお入りください。

看護師さんの呼び声がし診察室の中へ入る。

先生は普段と変わらない顔。

すかさずお母さんが聞く。

「先生、幹細胞は十分に採れていたんですか?」

「お母さん、残念ながら幹細胞を十分に採ることが

できませんでした・・・」

「先生、足りなかったんですね。」

「足りなかったのでまた夏休みあたりに2週間くらい入院してもらって

移植は12月の冬休みを利用して行いましょう。」

「そうですか・・」

「次は採れるんですか?造血幹細胞移植にかけてます。」

お母さんはは何回も先生に質問していた。

ショックはあったけど気にしないようにしていた。

幹細胞が足りず。夏休み前にまた採取して

冬休みを利用して幹細胞移植をしようということになった。

それでもまだ私にはチャンスがあった。


母は流石にショックだったようで

帰りはバス停までほとんどしゃべらなかった。

私はそんなお母さんが可愛そうで

「お母さん、でも夏休みいっぱい末梢血移植で入院する予定が

なくなったんだし、夏休み半分もあるから海へも行けるし

自由に過ごせるから嬉しい。ダイジョブだって!次があるよ!」

いいことを言ってみる私。

「よし次は頑張ろな」

わざと明るく言った口調だった。



その日の母は

学生さんがたくさん乗ってくる電車の中で

椅子に座り黙ったまま涙を流していた。


私はあの時母を励ます気の利いた言葉さえみつからなかった。



幹細胞採取の時の心がまえもできていなかったため

入院しているのに食事もお菓子などの間食が多かったし・・

頑張ってなんかいなかった。

ただ目の前のおかれた治療をしているだけ。

治療の重要性の認識不足で意志薄弱だったと思う。

あの時採取失敗につながったのは

私の病気に対する気持ちの表れのように

思えてならない。



1回目、幹細胞がわずかしか採れず採取失敗に終る。






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採取終了
白血病日記


幹細胞摂取が終わり

管の入った所が出血しズキズキ痛む。

その状態ですぐに車椅子をこいで母に電話をした。

「 摂取の後大変だったんだよ・・トイレの後痙攣したんだよ。

口がまわんなくて動けなくなってすごいびっくりしたの!

今日来るならシュガートーストを買ってきて。

なるべく早く来て・・」


子供じみた会話で母を心配させて来てもらうことにしたあたし。

自分だけがつらい想いをしたからわかってよ!

そんな気持ちで甘ったれていた。

今日は末っ子の小学校低学年の妹H菜が遠足で

髪の毛を何本も三つ編みに結わえてもらい

白い帽子を被って行ったそうだ。

昨夜は、カテーテルが入って動けないので

母が来てくれて泊まって診てくれるつもりだったのだが

H菜が電話で

「お母さん、ツッチのことばかり気にして・・

明日は遠足だから帰って来てよー!」


と泣きだしてしまったために

流石にあたしもかわいそうに思い急遽変更して帰ってもらった。

H菜が母に遠足姿を見送られて元気に行くことができて

ほんとに良かった。


H菜はあたしのせいでいつも寂しい想いをしながら

お母ちゃんと父ちゃんの帰りを待っていた。

真ん中の妹は母の実家にお世話になっていた。

H菜もMもかわいそうだ・・

家全体が家族がバラバラでそんな中で

あたしは心配と迷惑しかかけられなくて自分のことだけで

妹・・家族のこと

何も考えてあげられなかった。

H菜の遠足の件で自分の行いを情けなく不愉快に思った。

自分自身がすごく嫌になったと日記に書いている。



そんな中で母は無理な電話後すぐに来てくれた。

H先生が来てあたしの右足のカテーテルをすぐに抜いてくれ

幹細胞の量がどれだけ採れたか話してくれた。

「量は十分に採れたけど

その中の血液を作ることができる幹細胞は

果たしてどれくらいかまだわかりません。

早ければ2日間で検査結果がでますから

次の外来で結果をお話します。とりあえずこれで

傷口から出血しなければ明日退院でもいいでしょう」


にこっと笑いながらH先生はお話してくれた。

十分採れて良かったなぁ。

後はいい幹細胞ができてることを祈るべ

お母ちゃんも喜んでいた。

やった!十分に採れたんだ・・もう退院もできる。

採取も終わってカテも取れて少し楽になったものの

良い幹細胞が採れているのかどうか不安だった。






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抗癌剤


白血病日記




第二段階治療

3/7

いよいよまた無菌室への

また、前回のようにお風呂に入れないため体をきれいにして

消毒をして無菌室に入る。

ここでの治療期間は約1ヶ月半~2ヶ月半。

多めの抗癌剤で癌細胞を徹底的に叩く

点滴での抗癌剤強化療法が始まった。

1週間抗癌剤投与。若いから多目の量と聞いていた。


とにかくだるくてずっと何も食べずに寝ていた。

とにかく気持ちが悪く手洗いにも動くのがやっと。

午前中投与だったので午後になると起きて何かをしようとするけど

結局、寝てしまう。

何も食べられない・・こんなに苦しいものだなんて・・

すごく眠いし、気持ち悪い。だるい・・助けて

と殴り書きで書かれていた。

早く1週間がたつように、1日が早く終わればいいと思っていた。

その1日中苦しい時間が長く感じられた。


4日目

この日は

抗癌剤に体がなれてきたのかけっこう調子がよかったようだ。

やはり気持ち悪いけど、あんまり眠くない。

無菌食にでたにら玉食べたかった・・と書かれている。


気持ち悪いのに食欲があったようだ。


5日目~7日目

抗癌剤の量が蓄積してきたのか、朝誘惑に負けて缶詰めを2缶

たいらげたせいかすげー気持ち悪い。

下痢もすごすぎる。

最後の投与の日は今日で終わりだとうれしくくてしょうがなかったが、

かなりきつくて1日中ずっと寝ていた。

日記にも、今日で抗癌剤投与も終わった。うれしいけどすごく苦しいよ・・

と書かれていた。抗癌剤治療はきつかった。



癌患者さんの苦しみが少しでも抑えられるように

副作用が少ない抗癌剤に改良されればいいなと思う。




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ついに髪が・・・゜・(PД`q。)・゜・

白血病




受け入れないとなあ・・

ついに抗癌剤の効果がでてきたのか

髪の毛がぱらぱらと抜けるようになった。

毎朝、枕まわりの抜けおちた髪を見るのがとてもつらかった。

髪の量が多かったので見た目は少し薄くなった程度だったけど

次々に抜けおちる髪の毛を見るたびに自分はほんとに

病気になってしまったんだと実感がわいてくる。

特に、週1回の洗髪が嫌だった。

髪が抜けおちるから。

まだお風呂に入ることができないので

看護婦さんに週に1回髪を洗ってもらう。

洗ってくれた看護婦さんは

「やっぱり抜けてきたね。洗うとすごい。でも治療終れば

また良い毛がはえてくるから大丈夫だよ」と言って

励ましてくれたけれど嘘の笑いで答えるしかなかった。

抜け落ちた髪の毛の束を見るとズキーンとつらさがこみあげてくる。

心は抜け殻のように空っぽでショックでたまらなかった。

薬を飲んで治療するからにはしかたのないことなのに・・

わかっていてもこの状況はつらすぎた。

髪の毛だけはもう洗いたくないと。

心がズキズキ痛かった。


髪が抜けること。治療だからしかたのないことだけど

思春期の時ってすごく悩むもの。

まして好きな人ができたら

紙が無いと嫌われるとか・・

ただ悲壮感や同情だけもたれて

恋愛対象には見てくれないだろうなあなんて

考えちゃってあせっていた自分。

やっぱり思春期にこれは痛い経験だったなあ・・







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テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

窓から見える雪

白血病克服記



面会謝絶の個室の中での治療は16歳だったあたしにとって

初めての精神的につらい治療だったけど

先生や看護婦さんや家族や友達の励ましが

勇気づけてくれていた。

部屋の中で好きな曲を聴いて歌うのが

ストレス発散であり楽しい時間だった。

もちろん、隣の患者さんに聞こえないようにと気はつかっていたけど^^;

お隣さんに少し聞こえていたかもしれない・・(ごめんなさいお隣さん

当時、あたしのおはこのグローブのフィールライクダンスの

下手くそな熱唱が

廊下にたまに響きわたっていたらしい・・Σ

あたしは毎日何も気にせずのんきに

ベッドの上で手をマイクにして楽しく歌っていたのだ・・




検温に来た看護士さんが、

「いつも、元気だねー!白血球少ないのに熱がででないし

順調だね。1000超えたら速いから頑張ろうね」と励ましてくれる。

白血球が200mlだけで熱がでないのは運がいいらしい。

普通なら必ずといっていいほど高熱がつづくそうだ。

このまま熱も出ないで個室を元気に出たい。



高校のクラスメイトの仲良しグループのメンバーは

あたしが勉強についていけるようにと

教科ごと授業のノートを作ってくれてた。

不安でつらい気持ちがでてくると、みんなを思い出した。





なかなか白血球も500に増えるまで予定より時間がかかっていたと思う。

先生や看護婦さんは抗癌剤で髪の毛がぬけると言っていたが、

私の髪の毛は多くて丈夫だったのか、少しぬけやすくなった程度だった。

薬を飲んで、採血をして、無菌食を食べ、狭いセミクリーンで過ごす。

ようやく、白血球も500から800になり増えてきた。

もうすぐ1000にとどこうとしていた。

1000を超えれば2000まで増えるのは速い。

1000いけばこのセミクリーンルームから出ることができるから。

1000に届くまでが頑張りどきなのだ。

もうひとしんぼうだ。

こうゆう時に限って時間がたつのが遅い。

あと数日だ。指を数えながらその日がくるのがまちどうしかった。



朝晴れた日は窓から見える病院の屋根にかかる

つららや建物を囲んでいる雪が

太陽の光を反射してキラキラ輝いていたのがとてもきれいだった。

ここから眺めているとなんだかやる気がわいてきたっけ。

自然は精神的に癒してくれるしやる気ももらえる。

『病院の周りは緑が少ないなぁ・・』

何度思ったことか。

治療の一環として窓越しで見れるように病院や医療施設に

たくさん緑やお花を設置してほしいと思う。

ってそう思うのはあたしだけかしら。



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現実

10年前の白血病日記



12/13


地元の病院を後にしてその日に

あたしは町の病院を出て急いで車で高速をつかって1時間半の

市の日赤病院にむかうことになった。

車の中でお母は泣いていて、里芋(とーちゃん)も

だまったままで暗い表情をしていた。

いつもの父ちゃんの表情じゃなかった。

目に涙がいっぱいたまっていてだまったままハンドルをにぎって

いつもよりスピードをだして運転していた。



何の病気かもわからず、だるくてドキドキして

眠気がすごいのでこのまま眠りたかった。

手にも力がはいらない・・


お母ちゃんが口をひらく。

「月、これから長い治療になるかもしれないけど

学校には必ず行けるから。

月子頑張れる?

いままで父ちゃんと母ちゃんが喧嘩ばかりして嫌だったろ。ごめんな。

家族みんなで頑張ろう。」


あたしは父ちゃんと母ちゃんがまた仲良く

元に戻ってほしいなとずっと思っていた。

この言葉がすごくうれしかった。


「うん、頑張るよ。お母さん学校行けるんだよね?」

と何回も繰り返し言った気がする。


窓を開けると、外の冷たい空気が頬にあたる。

曇りっぱなしで寒い日で父ちゃんと母ちゃんを見ていると

なんだか悲しくなってしまった。




日赤病院に着いてから即入院することになった。

初めての入院。実際にあまりにだるくて病棟まで

両親と歩いて病室へ来た記憶がない。


あたしはこうゆう状況なのに、

病院食の献立がすごく気になっていた。ラーメンが食いたかった・・・

お腹が減っているし血液の量が少ないためか力がでない。

あまりのだるさでベッドで休んでいた。


しばらくし、病室に現れたのは

白髪の丸顔メガネの優しそうな先生だった。


「だいじょぶかね。ここまで来るのに熱がでなくてほんとによかった。

明日個室に移りますから。

今日は普通病室で安静にしていてください。」

とだけ言ってササッと行ってしまったと思う。

あたしがあまりのダルさに寝ぼけていてこの部分しか記憶が

ないのかもしれない。

これがあたしと先生との出会いになる。

優しそうな年配の先生だったのでなんだか安心した(*^-^*)


その日、お母ちゃんは病院に泊まってくれて

寝ないで面倒を看てくれていた。

そわそわしていて、おちつきがなくて、泣き顔だったお母ちゃん。

あたしの前では「大丈夫だから」と普通を保っていたけど、

心配させないように頑張っていた。



最初の夕食は混ぜご飯で味がやっぱり薄かったけど全部たいらげてしまった。

今日おこったことがのみこめず、夕食後処方された薬の作用もわからず

飲んでぐっすり寝てしまったあたし。


明日から個室と聞かされていたが、どうして個室で治療なのだろう・・

やっぱり気になっていた。



その日の母の日記

病院の検査結果で急性白血病と判明

緊急に日赤に入院。あと数日間で死亡していたと・・泣きくずれる。

そのときの気持ちは言葉にできません。

絶対に娘を死なせない


濃い字で書かれていた。

この文章を目にした瞬間

母の想いがいっぱいつまっていて

なんて書いたらいいかわからない・・





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テーマ : 壊れそうな心
ジャンル : 心と身体

白血病化学療法
化学療法

抗がん剤を患者に投与することで白血病細胞を

やっつけてしまおう!という治療方法で

骨髄移植などの移植を行う場合でも、まずこの化学療法(前処置)で

白血病細胞を減少させる治療が行われます。

白血病治療には必ずといってこの化学療法が行われれかかせません。

この化学療法だけで白血病を完全治癒した人もいます。

白血病の種類や症状によりその効果も変わってきます。

最近では抗癌剤の進歩によって生存率もあがっているようです。



抗がん剤

 抗がん剤は赤色、青色、黄色(故意に着色されているのかもしれません)等液体の薬で点滴投与されます。数種類ある抗がん剤の中から治療方法により投与する薬が選択され、薄めたり、数日間連続で投与されたりします。

抗がん剤の治療は、3~4週間を1回の治療とします。

おおまかには次のようなサイクルになります。

 ・第1週   → 抗がん剤投与

 ・第2~3週 → 骨髄抑制

 ・第3~4週 → 骨髄機能回復

上記治療を数回繰り返します。

骨髄検査(マルク)で白血病の徴候がなくなる状態を

寛解と言い、この寛解状態を維持、または治癒するために

「地固め療法」や「強化療法」として投薬が繰り返されます。



 

副作用

骨髄抑制 吐き気や嘔吐、味覚異常、食欲不振、下痢

脱毛、色素沈着 、 口内炎、喉頭炎 、機能障害 ・生殖器異常 、不妊

などなどです。






骨髄移植とは?
骨髄移植(BMT)とは?

致死量の抗がん剤を投与したり全身放射線照射を行うことにより白血病細胞を殺した後に、強力治療によって回復しなくなる骨髄中の造血細胞を、他人の骨髄を移植することにより、血球を回復させる治療法です。

まず肉親の中からHLA型の一致する相手を探し、(合う確率は兄弟で1/4)いなければ骨髄バンクに患者登録してドナーを探します。
(とても多い型で1000人に1人まれな型では10万人に1人しかいないそうです)
適合したドナー登録者が見つかり、健康等の問題がなくドナーに決まりましたら骨髄移植手術を行います。
患者は約2週間前から「前処置」と言って大量抗がん剤投与や放射線照射でガン化した骨髄細胞を叩いて破壊します。
そこへドナーさんからの健康な骨髄液を点敵で移植することに
よって血液をつくる能力を回復させます。

肉親間の骨髄移植は、施設がありスタッフのいる病院ならばどこでもできますが、骨髄バンクが仲介した非血縁者間の移植は、骨髄バンクの認定病院でなければできません。
骨髄移植により造血機能・免疫機能が回復すれば
完全治癒が得られます。

実際には、骨髄提供者(ドナー)の骨盤を形成する腰の骨(腸骨)に全身麻酔をして注射器で骨髄液を採取します。
患者さんは、骨髄移植の約2週間前から、移植の準備に入り
大量の薬の投与や放射線の照射を受けます。
その後、患者さんの造血幹細胞はすべて壊され、血液が全くつくられなくなります。
激しい吐き気やだるさ、全身脱毛など厳しい副作用に耐えながら、
患者さんは命がけの治療に取り組むことになります。
前処置を終らせて
無菌室(無菌消毒された部屋)でその骨髄液を
患者の腕の静脈に点滴します。
私は4時間くらいかかりました。
その骨髄液は、骨髄から赤血球や白血球が全身に流れていくのと
逆方向をたどって腕の静脈から患者の骨髄のなかに行きつきます。
その骨髄液の中の造血幹細胞が患者の骨髄で血液を作り始める(生着)と骨髄移植は成功です。
その後、拒絶反応や感染症などに注意しながら、安静に過ごします。
やがて移植された骨髄液が働き始め、正常な血液をつくるようになると、一般の病棟に移されます。
患者は拒絶反応 GVHDと戦いながら
そこで良好な経過をたどれば、退院し、社会復帰することができます。


詳しくはこちらをご参照ください。
      ↓

骨髄移植

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プロフィール

つきこ

Author:つきこ
白血病後、骨髄移植をし

念願の社会復帰後に
肺炎(IP)を発症し(>_<)
それ以後在宅酸素と睡眠時、人口呼吸器生活をおくっていましたが

肺移植をし元気になり
今は夢の自発呼吸で日常生活をおくっています

色鉛筆やマウスで
イラスト(落書き)を描いてたりします。

わたしの経験が少しでもお役にたてればと思っています。

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お気軽にコメントやメール
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